ジャイビーム!
インドのちょうど真ん中、デカン高原にある街ナグプールを訪ねた。ここでアンベードカルがヒンズー教を棄てて、多くの不可触民とともに仏教に改宗したのだ。インド仏教復興の中心地である。5年ぶり2回目の訪問になる。
ベナレスから列車に乗り、丸一日かけて夕刻に到着した。すぐに気がつくのは、とてもきれいな街であること。駅や空港では定番の客引きのオニイさんの姿もなく、物乞いも寄ってこない。ゴミも他の街に比べて少ないし、緑が多い所だ。
出迎えてくれるはずの人が見当たらない。連絡のつけようも無く、どうしたものかと困ってしまう。でも、さすがナグプールである。駅前のオートリクシャー(三輪タクシー)の運ちゃん達はちゃんと佐々井師の寺を知っていて、我々を運んでくれたのであった。
到着した寺(インドラ・ブッダビハール)では村の人たちが集い、夕暮れのお勤めの真っ最中。マイクでガンガンのお経を聞く。こちらでは、ヒンズーもシークもイスラムも、スピーカーで寺院内外に儀式の様子を流すのだ。
残念ながら今回佐々井師はデリーに行かれていて再会は果たせないが、ボディ・ダルマ師(佐々井師の弟子で、岡山の禅寺で修行をしている。このとき一時帰国中。)が出迎えてくれて握手を交わす。お勤めの後、皆さんと「ジャイビーム!」と挨拶をしあった。「ジャイビーム」とはインド仏教徒の日常の挨拶の言葉で「ビーム(アンベードカル)のために」という意味である。彼らはヒンズー教徒の挨拶である「ナマステ」を絶対に使わない。
それから早速歓迎のセレモニーが始まった。ツアーの面々6人が一人ずつマイクを回されて、臨席の人たちの前でここに来るまでの色々な思いを語る。5年前もそうであったが、村の代表から数珠繋ぎの花輪をかけてもらったりして、思わず赤面してしてしまいそうな大げさなセレモニーである。
前回の訪問で思い出されるのは、仏教徒の結婚式に参加させてもらったことだ。大きなホールに村中の人が集まって、ワイワイガヤガヤ。佐々井師はダミ声のヒンズー語(マラティ語かも?)で、それもプロレスのリングアナウンサーが「赤コーナー・・・・!」と叫ぶような大声で司婚を勤めていた。出席者は時々「オー」と叫んで、日本でいえばロックのライブのように皆がその場を楽しんでいる。結婚式は格別だが、何かにつけてこんなセレモニーを催して、皆はそれを楽しみにしているのだ。
SANJAYさん一家
熱烈大歓迎の式典の後、二人ずつ三軒の民家に分宿することになった。私と、このツアーを主宰する村上真さんの二人はサンジャイさんという方の家へ案内された。彼はハンサムな仏教青年会の活動家で、建築資材の仕事をされている。叔父さん一家と同居していて総勢12名(お連れ合い、子ども二人、両親、おばあさん、叔父さん夫婦、甥三人)。とても明るくにぎやかな家庭だ。最初はどんな家に泊まるのか少しだけ不安だったが、鉄筋三階建てのとても立派な建物に驚いた。男性は皆しっかりした職についていて、アンベードカル博士が身をささげた解放運動の成果をかいま見た思いだ。早速日本から持ってきた博多人形をプレゼントする。
風呂をいただいて(バケツ一杯のお湯と水のシャワー)、お連れ合いのキランさんの手料理をご馳走になる。目茶目茶に美味い!鮮やかな手つきでチャパティを焼くのも見せてくれた。そしてなにより美人である。聞けば彼女はもともとヒンズー教徒だったそうだ。お父さんは国民会議派(ガンディー、ネルーらの指導により対英非協力・不服従運動を展開、独立運動の中心組織となった政党。47年インド独立後、政権を掌握。)の議員であり、仏教徒との結婚に大反対したらしい。それを押し切ってサンジャイさんと結婚。一年間は断絶状態で実家に帰らなかったという。なかなかな内面もしっかりした魅力的な女性だ。
食後にチャイをいただきながら叔父さんと少し話す。(インドには様々な言語があって、ヒンズー語と英語が公用語になっている。教育を受けた人たちは皆英語が達者である。)「改宗して何がよくなったか?」「リザーブ制度(学校・官庁・企業などに不可触民の席を設けている制度)を受けているか?」等。真剣なまなざしで答えてくれた。すべてはアンベードカル博士のおかげだと・・・・。ここナグプールでは、アンベードカルはボディサットバ(菩薩)として礼拝されている。
お母さんと叔母さんが、パーン(噛みタバコ)を勧めてくれる。あまり美味いとは言い難いが、ありがたくいただく。彼女達の楽しみなのだろう、口が真っ赤になっている。作り方を丁寧に教えてくれて、見よう見真似で作り、口に放り込んだ。
夜行列車で疲れていたので、早めに就寝。私達二人にはサンジャイさん夫婦のダブルベッドが提供された。たはははぁ・・・・村上さんと同じベッドに寝なければいけない。インドでは男同士で手をつないで歩いているのを見かけることがあるが、別にゲイではない。ただの親愛の表現なのだ。こんなインド人の気持ちにはなりきれないが、村上さんの寝息を聞きながら寝ることにする。
二日目
翌日早朝に村上さんと散歩。猪豚が突進してきてぶつかりそうになったり、牛の乳絞りをしている人を眺めたり。そのうちふと見たことのある風景に気づいた。サンジャイ家は前回訪れた場所のほんの近くだったのだ。そのときに訪ねた寺(アーナンダ・ブッダビハール)に行き、中にいた人と「ジャイビーム」と朝の挨拶をする。朝食の後、ジープ(国産で名前はSUMO<相撲>)で分宿先を回って全員集合。今日はいろんな場所に案内してくれる。
大きな通りから外れると、舗装していないガタガタの道。ほどなく郊外の「国際青年仏教会事務所」兼「交流の家」建設予定地に着いた。今回の旅の目的の一つは、この建築のために日本で募ったカンパをお渡しすることだ。そんなこともあって、村の人たちが大勢待ち受けている。またまたここでも歓迎セレモニー。花輪をかけてもらって面映い。同行の玉嵜さん、奥山さんは記念植樹をし、福沢さん村上さんは、建設予定地を示す看板に花輪を飾って無事の完成を願った。
続いて、さらに郊外の寺(ナガルジュナ・ブッダビハール)に行き昼食。皆のためにそれぞれのホストが弁当を作ってくれている。食べ比べるけれども、やはりキランさんの料理が美味い。フルーツもたらふく食って、休憩。
この寺の裏に小高い丘があって、周辺は仏教遺蹟だとのこと。丘に上ってインドの大地を実感する。360度ほぼ起伏のない地平線だ。この光景はなかなか日本では見る事ができない。佐々井師はこの遺蹟の発掘調査を数年来続けているという。
それから近くの湖まで移動。このあたりの人々の憩いの場だ。ライフジャケットを着けてボートに乗る。竜樹(ナガルジュナ)湖というらしい。竜樹(日本仏教でも尊ばれるインド僧<150~250年頃>)ゆかりの地はナガルジュナコンダが有名だが、佐々井師はここが竜樹の出身地だと言っていた。そもそも「ナグプール」とは、「ナーガ族(竜を崇める人たち)の街」という意味だそうだ。
帰路の途中、オレンジ畑に寄る。ナグプールはオレンジシティーと呼ばれるほどの所だ。まだ青い実であったがとても甘い。果樹園につながれた牛にオレンジの皮を差し出し、帰りを急ぐ。デカン高原の太陽はすっかり傾き、気温も低くなると、ジープの巻き上げる土ぼこりが水分を含み、かすみとなって視界をさえぎる。
三日目
朝起きると、どうも調子が悪い。とうとう腹をこわしてしまった。気をつけていたけど、うっかり水を飲みすぎたのだろう。同宿の村上さんも、また別の家に泊まった村上由香思くんも、そろって同じ症状。持参してきた“富山の赤玉”を飲んで、トイレを往復する。まぁこれもインドの“お約束”だと、肉体に逆らって気持ちの方だけあきらめる。
今日は、アンベードカルが創設したシッダルタ・カレッジに行く。大きなストゥーパ(仏塔)を模したドームがほぼ完成していて、中に入ると複雑に反射するロングエコーが心地よい。はしゃいで歌を歌った。小人数の拍手でも、大観衆の拍手が返ってくる。
ドームの脇にはちゃっかりとインド商人が露店を広げて、“アンベードカルグッズ”を売っていた。「ジャイビーム」と書かれたバッジや、キーホルダー、ブッダの絵、アンベードカルのブロマイドなどが並んでいる。中でも面白いのがカセットテープだ。何本か買って帰って聴いたが、独特のインディアンポップに乗せて、ブッダやアンベードカルの徳が称えられているようだ。日本でいえば、アイドル歌手が仏教讃歌を歌っているようなものだろう。しかしこの商人は仏教徒だろうか?
インドの音楽テープはクラシカルなもの以外、ほとんど「映画音楽」である。といっても日本のサウンドトラックCDなどとは全然意味が違う。インドは世界一の映画生産国であるが、どの映画にも必ず、脈絡とは無関係のミュージカルシーンがある。唐突に主人公たちが歌ったり踊ったりするのだ。そこで歌われる歌がテープになって売り出されるという訳である。インドの音楽産業は映画が支えているといっていい。しかし、最近は衛星放送も発達して、テレビの普及もめざましい。音楽もいわゆる“ノンフィルム”のものが多くなっているようだ。
次に特に貧困な集落に案内された。ここはクリスチャンが多いという。インドで果たして需要があるのかどうか、猪豚がたくさん飼育されていた。
続いて、仏教徒の集落に行く。この集落の入り口には門があり、両脇にはブッダとアンベードカルの胸像が安置してあった。いつのまにか子どもたちが寄ってきて、口々に「ジャイビーム!、ジャイビーム!」と声が飛び交う。そのうちに村中の子供たちが集まってきて、大演芸大会が始まってしまった。玉嵜さんが日本の歌を子供たちに教えてあげる。みんなとても耳がよく、「めだかの学校はー♪」と歌うと、全く同じに歌い返してくる。子供たちの何人かは前に出てきて、歌ったり踊ったり、日頃の十八番を披露してくれた。
夕方早めに帰って、少し休憩。それから甥のアウィナーシュが部屋に訪ねてきて、しばらく話した。まだ若い彼は私のカメラや電卓などの持ち物にとびきりの興味を持って、値段を聞いてくる。あまり言いたくないが、換算して言うとあきれたような表情を返してくる。インド人の口癖は「ノープロブレム」で、こっちが大変な時にでも平気で言われるが、彼の口癖は「プロブレム」だ。 「インドは色々問題のある国だ。しかしぜひまたインドに来て、そして必ずここに寄って泊まっていってくれよ。・・・・」気のいい彼が言ってくれた。
私達は今夜ナグプールを発つことになっている。わずか三日間であったが、本当に忘れられない出会いであった。最後の食事をいただいた後、何とサンジャイさんが私達にプレゼントをくれるではないか。小さな仏像とアンベードカルの肖像だった。温かいもてなしといい、気配りといい、本当に感激。一生の宝にしよう。
ナグプール駅では、関係の方々が多く見送りに来てくれた。だがなかなか列車がこなくて、3時間半は遅れるという。べつにインドでは珍しいことではない。夜もふけて、かなり寒くなってきたが幾人かの人は見送りに残ってくれている。4時間遅れてホームに列車が滑りんで来たとき、またまた花輪を首にかけてくれて送別のセレモニー。感激のなか「ジャイビーム!」と別れの挨拶をし合い、堅い握手を交わして、我々は列車に乗りこんだ。