クラコウへ

 「1942年7月から43年8月までに、ポーランドのユダヤ人だけでなく、ソ連、ユーゴ、チェコ、フランス、ドイツ、ギリシャなどからのユダヤ人を含めると80万人以上が殺された。43年8月2日には武器を持って対抗しようとしたが、果たせなかった。2㎞先には強制労働キャンプがある。ここでは1万人のポーランド人が40年から41年に殺された」説明文をオリビアさんが読んでくれた。
 2㎞先のキャンプ跡まで歩いてみることにした。道には雪が残り、強い風が吹く。石碑群にそって黙々と歩く。雪を踏む足音だけが響いた。
 キャンプ跡は長さ1㎞程に幅500m、深さは10mほどの壕になっていて、雪と松の木があるだけだった。ここまでの2㎞の道を裸足で歩かされ、途中で沢山の人が凍死した。倒れたものはどんどん殺された。15歳くらいの女の子が1週間でおばあさんのようになった  パメラさんの話をみやさんが語ってくれた。

残雪のトレブリンカを半里行く
雪半里裸足の行進子ら思う

 ガス室跡を右に見て、子ども達とコルチャック先生も運ばれた線路跡を戻りながら、片道切符で死の旅に追いたてられた子ども達、老人達、若者達そうした弱い立場にある人達のうめき、そして人間の恐ろしさを知った。「戦争は最大の差別である」という言葉を膚で実感したジジだった。

子ども等とコルチャック先生雪の下
降る雪やトレブリンカよ平和なれ

 遅い昼食のポーランド料理を食べて市街観光。コペルニクス像、その前に立つショパンの心臓が祀られている聖十字架教会。ここにはポーランドを代表する作家や詩人の墓碑も祀られていて、参拝者が絶えないという。この日もミサに人が溢れ、敬虔な祈りが続けられている所を見学させてもらった。さらにショパンの住んでいた家、無名戦士が眠るサスキ公園、オペラ座、ミツケビッチ像、旧市街を取り囲むバルバカン城壁などなど美しい眺めを見て、18世紀の・街並みを復元した旧市街市場広場に行く。

 広場を取り囲むカラフルな家並みは、第二次世界大戦でほとんど破壊された。復元には精密な風景画などを参考にしたというが、とにかく比べようがなく美しい。屋根の彫刻などもいつまで見ても飽きない眺めだ。門司港がレトロ観光を目指しているが、とてもとても足元にも及ばない。
 夕闇迫るころクラコウヘ300㎞の道を走る。速度制限60~70㎞、片側1.5車線という変則道路だ。20時前いきなり「ねずみ取り」にひっかかった。26㎞オーバーだという。罰金60ドルと言うのを子どもが居るからと40ドルにまけさせたそうだ。その後もゆっくり急いで21時57分クラコウ着。「世界遺産」認定第1号の街、ポーランド王国の古都だ。

アウシュビッツ

トレブリンカにて