山道にさしかかった。幻想的な雪の降りしきる木立の中をバスは走る。ほどなく雪も少なくなりほっと一安心する頃に街が開けた。ザコパネだ。観光地でスキーの名所になっている。木造風の家が多い。車を止めて買物に出る。シャーベット状の道の両端に露店風の店が並ぶ。いかつい顔つきのおじちゃんの店に入ったババは、手編セーターを知馨与ちゃんの通訳で8ドルで買った。勿論ジジとペアだ。
再び雪の降りしきる雪の坂道を下りにかかる。タトラ山脈の一角だ。一度ストップすれば再スタートが難しい坂道を、タケさん運転のバスは滑るように走り続ける。ユダヤ音楽の掻き鳴らす調べと、下から吹き上げる雪景色が一体となって、名人竹山の三味線の雰囲気だった。
突然前が開けて数軒の建物が現れた。ポーランドとスロバキアの国境だった。午後3時。日本時間午後11時。鉄道の踏切遮断機のような簡単な仕掛けが国境だ。反対側に赤いトラックが一台止まっている。手続きに行ったタケさんオリビアさんがなかなか帰ってこない。またも書類不備らしい。今日中に国境を超えられるかどうか分からぬという。ジジババは予備の写真は用意していたが、用意の無い人もいる。色々と心配していたが、1時間かかって何とか許可がおりた。午後4時スロバキア入国。国境を超えても雪だった。
チェコとスロバキアもまた歴史の荒波を受けてきた。20世紀に入ってもそうだった。1918年、第1次大戦にオーストリア・ハンガリー帝国が破れ、マサリクがワシントンでチェコスロバキアの独立を宣言。しかし39年チェコがナチス・ドイツの保護領となると、スロバキアは自治政府樹立を宣言。3月14日、独立スロバキア誕生。そして1945年、ドイツの敗北により再びチェコスロバキア独立。翌年共産党が第1党となり、議会民主主義的手段で共産党主導政権ができた唯一の国として注目された。そして68年ドゥプチェクによる「プラハの春」。8月のワルシャワ条約機構軍がチェコスロバキアに軍事介入し、全土を占領した「チェコ事件」。「正常化」「民主化」の中からチェコとの分離独立運動が高まり、1993年1月、チェコスロバキア解体、スロバキアの分離独立となった。 と、ジジはまとめてみたが、間違いがあるかも知れぬ。
車中でみやさんがいろいろと政治、経済、地理、文化、文学、音楽、演劇、歴史等々よどみなく語ってくれた。ジジはホウ、ホウとウグイスみたいな驚きの声をあげながら聞いたのだが、もうすっかり忘れてしまった。ジジ流にまとめると顔型、言語は同じだが、チェコはドイツ風、スロバキアはハンガリー風であること、つまりビールとワインの違いがあるというのが結論であった。
国境の雪深々と超え行けり
ハンガリー >
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