空港で、みやこうせい氏、案内のオリビヤさん、クラクフ案内のパメラ・アニタさん姉妹、運転手のタケさんに迎えられてホテルに向かう。オリビアさんとタケさんはルーマニアから車で来て、またルーマニアまで、私達の今からの約4000㎞の旅を案内するというのだ。みやさんはパリからベルギー、ドイツと飛行機を乗り継いで今朝着いたそうだ。
折から雪が降り始めた。みやさんは、「ワルシャワの雪はひと味違います。なかなかいい味です。」などとさっそくポーランドの解説をしてくれる。「東欧」という言い方は政治的な言葉であって、現地の人達は地理的に「中欧」といっている。ヨーロッパの中心だという誇りを持っている。ポーランドは日本から九州と四国を除いた位の広さだそうだ。首都ワルシャワは人口180万人、ポーランドの政治、文化、経済の中心地だ。
1939年から44年までの第二次世界大戦では、街は壊滅状態となった。39年9月1日不可侵条約を破棄したドイツ軍がポーランド侵入。9月17日にソ連軍がポーランド侵入。ポーランド政府はロンドンに亡命政権を樹立する。
ワルシャワ市民は、優勢なナチス・ドイツ軍を相手に2ヵ月間戦い続け、その抵抗の激しさに驚いたドイツ軍は、火焔放射機で建物を焼き払う。人口の65%の20万人が犠牲となり、市街の85%が焼けた。
戦後、徹底的に破壊された旧市街は、人々の熱意によって、戦前と寸分違わぬ姿に復元された。現在見られる中世風の街並みは100%近く建てなおされたものだという。何故か。そこが木と紙の日本と、石の文化を誇るポーランドの違いだとみやさんは語る。心に焼き付いている昔の建物の復元に、絵、写真、設計図、そして記憶に残っているレンガの形や壁のひびわれ、苔のはえ方まで忠実に復元したというのだ。歴史の大波に翻弄されながらも、民族の誇りと不屈の精神を感じる話だと、ジジはしきりと感じ入っていた。さすがにコペルニクス、ショパン、キューリー夫人、ミツケビッチを持つ国だ。
1944年ワルシャワ蜂起。終戦後国民統一政府発足。48年ポーランド統一労働党結成。共産党一党独裁体制。56年、70年、80年と労働者の暴動発生。特に80年には「連帯」運動が始まり、社会主義政権は衰える。そして89年、ポーランド統一労働者党は「連帯」に政権を譲り、社会主義体制は崩壊。90年にはあの「連帯」議長ワレサが大統領となる。だが95年の大統領選挙では民主左翼連合(旧共産党系)のクファシニェフスキが当選。
そうした歴史を思いながら、痛いような寒さの中に旧市街を見学し、レストランで遅い夕食をすませ、10時半に「ホルムホテル」33階1918号室に入ったジジだった。
春雪の歴史の味やポーランド
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