トレブリンカにて

 3月22日(日)晴。午前1時半からジジは目が覚めて眠れない。ビールが軽いせいもあるが、もう一つは今日の目的地がトレブリンカ強制収容所跡見学だからだ。そう、あのコルチャック先生と200人の孤児達も運ばれて殺された所なのだ。
 ヤヌッシユ・コルチャック(1878年~1942年)。ユダヤ人一家出身のポーランドの医師で作家、教育者でもある。本名ヘンリク・ゴールドシュミット。「子どもの権利条約」は彼の著書「子どもの権利の尊重」をもとに生まれたのだ。
 映画になった「コルチャック先生」では、小児科医、孤児院院長として多忙な生活を送っていたコルチャック先生が、ナチスのユダヤ人の絶滅収容所に送られるまでを描いている。友人の援助で圏外に逃亡することもできたのだが、200人の孤児を助けることができないことがわかった時、彼は愛する子どもたちとともに「死の行進」の先頭に立ったのだった。
 6時に洗顔して7時半の朝食。快晴。しかし外は冷たい。8時半出発。ワルシャワからトレブリンカまでは80㎞。雪が残る。昨日はトルコにもギリシャにも雪が降ったという。「エジプトの暖房は何でしょうか」とみやさん。黙っていると「カイロです」とくる。「この道はどこに行きますか」ときた。これは「ローマ」が正解だ。全ての道はローマに通ず。

 トレブリンカ8㎞前で、バスが鉄道の踏切前で遮断機に止められた。この道もローマ行きかと思ったら、なんと列車線路を自動車が走って来た。一部の線路を道路と併用しているのだ。
 雪が深くなる。森が迫ってくる。ちょっとした雪の広場と小さな建物が駐車場と事務所だった。トイレは鍵がかかって使えない。そこらの森林の雪をクレバスにして思い思いの絵を描いた。
 入場料1.00ズオティ。日本円で約40円。写真が並ぶ。窓ガラスの代わりに有刺鉄線が張られた強制輸送列車からのぞいている顔が痛々しい。
 林の道を歩くと突然林が切れて石の説明碑が現われた。その向こうには石で作られた線路の枕石が森の奥へ奥へと続いている。60両編成の貨物列車にユダヤ人がこぼれるように積み込まれて運ばれてきたという。ここは絶滅収容所で40万人がガス室で殺され、壕を掘って死体を投げ込み積み重ね埋められた。墓標がわりの等身大の自然石が1㎞近く等間隔に置かれていた。折からユダヤの修学旅行生の一行が大きな旗を持って線路伝いにやってきて熱心に説明を聞いていた。
 ポーランド人のパメラさん姉妹が熱心に説明してくれる。23歳と20歳ということだが、この年代でこうした説明ができるのは日本では信じがたい事だ。虐殺と戦争の歴史の直視、そして平和と自由への思いがそれだけ強烈なのだとジジは思った。

雪原や無言で語る石碑群

クラコウへ

ワルシャワにて